録画してあるNHKスペシャルの「Last Days 坂本龍一 最期の日々」と「坂本龍一 Playing the Piano in NHK」を繰り返し観ている。Aquaを聴くたびに涙してしまうが、彼の死と共に自分自身の闘病の日々が思い出され堪らなくなるのだ。自分の病が何であるか確定するまでの間、何カ月も死を思っていた時期があったし、手術後もそんな思いは続いていた。Aquaを聴くとその頃の想いが一気に押し寄せてくる。
癌になって死を思わない人はいないだろう。彼の映像を観ながらいつもそのことを思う。健康な人と病を抱えている人では彼の映像は違って観えていただろうと想像する。そしてそれは当然のことだし仕方のないことだ。死に至る病を抱えたものの不安は当事者にしかわからないのだから。
だが坂本龍一という人はそんな不安を抱えながらも死の直前まで音楽への思いを語っていたことに圧倒される。もちろんメディアを意識していたところも十分にあったと思われるが、それだけでは現実に死が迫っている中であのように音楽への想いを語ることは不可能であろうと思われる。その強い思いはどこからくるのかと何度も繰り返し観ているが、そこがなかなかわからない。
最近はそれに加えてYouTubeにアップされていたNHK教育テレビ番組 『スコラ 坂本龍一 音楽の学校』の録画を見ている。生き生きとしている坂本さんの音楽解説がとてもわかりやすい。素敵な番組であったことを今になって知る。
音楽もそうだが僕の生業であるグラフィックデザインの世界も2010年代を過ぎたあたりから、圧倒されるような新しい表現は生まれなくなった。才能のある人がいなくなったわけでも個人の能力が落ちたわけでもないだろうが、過去の劣化コピーのようなものしか生まれていないように思える。「新しいという価値」そのものが過去のものになったようにも思われる。80年代の、すべてが新しさに向かっていたあの時代はいったい何だったんだろうか。
SNSやさまざまなAI機能は活用させてもらっているが、それらは表現というより表現のためのより強力なツール、システムだ。昨日もパンク修理に使ったゴムの弾性の理由とその仕組みをChatGPTに解説してもらった。便利だ。
それはそれとして過去の膨大な知と表現の世界をあまり学んでいないように見えるデザイナーの軽さがちょっと気になる今日この頃…。
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